眼帯
眼帯をつけるのは、生まれてから2回目。
初めてつけたのは、小学校3年生のときだったと思う。
そのときも結膜炎だった。
そのころは、「眼帯をつけていることで、人と違う」と思って、変な優越感があったように思う。
今日、外出をしたんだけど、すれ違う人に結構見られているんやねぇ。
俺自身が過剰に反応しているだけなのかもしれないけど、「何だか自分とは違う」ってのがあって目が行くのかなぁと思う。
松葉杖をついている人、骨折していて首から腕を吊っている人、車いすに乗っている人、白杖を持っている人、奇抜なファッションセンスの人などなど・・・。
俺自身もすれ違いざまに自然と見てしまっているんだろうなぁ。
「あんまりジロジロ見るのは失礼だ。自然に自然に。」と思うだろう。
不自然に目をそらしてしまうこともあるだろう。
「差別してはいけない・偏見を持ってはいけない」と学校で学んだが、差別・偏見の目で見てしまっているのではないだろうか。
見られる方はどうなんだろうか。
「見世物じゃねーよ」っていう感情があるはずだ。
うーむ。
俺の場合は、2週間限定(ほんまか?)だからいいんだろうけど、一生かかっても治ることのない障害を持っている人は、「見られる・視線を感じる」ということと、どう付き合っているのかなぁ。
そういや、こんなホームページを見たことがあるのを思い出した。
タッチ先生 藤井輝明 オフィシャルサイト
藤井輝明さんは、「運命の顔」という本の中でこのように書いている。
- 作者: 藤井輝明
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2003/10/24
- メディア: 単行本
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私の顔を、まるで宇宙人に会ったかのように興味深げに見る人たちが数え切れないほどいます。私の日常には、矢継ぎばやに鋭い視線が突き刺さってくることに、今も変わりはありません。そういったことをしてくる人たちに対して、かつては目いっぱいの怒りを視線に込めて、にらみ返していました。これはものすごく疲れることで、不愉快な気持ちになってしまいます。
ストレスがたまるはずである。
ただ、そのあとにこんなことも書いている。
(ただでさえ、ジロジロ見られることが大きなストレスになっているのに、そのうえわざわざ自分から嫌な思いをすることもないじゃないか)
そのことに気づいてから、私は笑顔でおじぎを返すようになりました。
藤井さんは、心に深い傷を負ったけど、このように悟ることが出来たから、よかったと思う。
みんなが藤井さんのような強い人ではないだろう。
「障害」という独特の個性を持つことで、何かしらのハンディキャップを持ち、そのことで「差別・偏見」され、心に深い傷を負っている人もたくさんいるだろう。
「障害」を持っていない人たちが、「差別・偏見」をするということ。
『障害を持っていない』ということでしか自分を優位に立たせることのできない、自分より弱いものに対して強く出る、『弱い』人間だと思う。
必要なときに、自分より弱いものを守り、自分より強いものに立ち向かっていくのが、『強い人間』だと思う。
俺は、まだまだ『弱い』人間だ。
『強い』人間になりたいものだ。
参考までに、こんな本もあった。
- 作者: 高橋聖人,茅島奈緒深
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2002/12/01
- メディア: 単行本
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Σ(゜◇゜;)
俺のキャラにない文章を書いてしまった。
お尻フリフリ〜 (パクッてるやん